(9) 8人の戦国武将についての回答
質問者さんが掲げられた人物8人について、僕の考えを記述します。
記述の順番は、僕の任意にさせてください。
●波多野秀治、別所長治
この二人については、他の6人と比べる程の特別な事跡はありません。
●浅井長政
父・久政に従って、義兄・織田信長を裏切り、浅井家滅亡の道を歩んだ。
似たような苦境を高山右近の事跡に見出す事ができる。しかし、喩えてみれば、課長クラスの右近は、父・飛騨守の命令に従わず、直接の上司、即ち部長・荒木 村重の側に立たなかった。社長・織田信長に忠誠を誓い、高山家の安泰を獲得した。だが、結論への道程は長く、右近の苦慮は続いた。右近を助けたのは、彼を よく理解し、その彼を惜しんだ信長と、この信長のメッセージを齎してくれたポルトガル司祭に他ならなかった。
長政の性格は、あまりにも凡庸だった。父子間の対話においても、時流を省みない久政に押し切られ、そして理念を欠く朝倉義景(久政の上司)の側に当たり前のようについていった。
*人物評――凡庸
●荒木村重
最後まで「駆け引き」で事を運ぼうとした。裏切って毛利方につき、反抗の末、数百名に上る家族・縁者を城に残したまま、身一つで逃走した。当然のように、 残された縁者たちは織田軍の捕虜となった。人質である。当時、こうした背信行為は、人質の犠牲によって成り立っていた。そこで村重は「駆け引き」の愚行に 出た。「人質殺害が正当であるとしても、これだけ多くの人質をあやめる事は、信長の世評を下げることになる。そんなこと、信長にできるはずがない」。
誰の眼にも読める村重の卑劣さに、信長は怒った。信長を残虐と解釈する今日の小説家たちを、その時代の人々は嘲笑うだろう。
*人物評――卑怯
●足利義昭
これは凡庸以下の愚劣の塊りである。形すら無い、名前ばかりの将軍の威光が、日本全土に行き渡ると錯覚している。たとえば武田信玄たちが、「将軍の命令」で打倒信長で結集したとしても、それらは全て利害打算の成り行きなのだ。
それすら読めず、頼りにした信玄の死など読めるはずも無い。彼の滅亡は自明の理と言えた。
*人物評――愚劣
●松永久秀
異才の反骨者である。ただ、足利将軍家も、将軍家をないがしろにする三好家も、ともに「お粗末な人材の集合」に過ぎなかった。さんざん利用し、ポイするの が余りにも易しすぎた。しかし、「そのうち、騙し討ちにしてやろう」と目論んだ相手、織田信長は、簡単にはいかなかった。それを知るにつれ、久秀は反抗の 時期をできるだけ延ばしてきた。だが、その時期が来ないまま、結局は信玄中心の「保守連合」に、盲目的に、飛び乗るほか無くなっていた。自滅への道であ る。
このへんの経緯は、井上靖の短編「平蜘蛛の釜」に上手に描かれている。
*人物評――年月をかけた自滅
●明智光秀
小才、教養の徒、と僕はいつも評している。この人物における教養とは、伝統の中でも特に内実に乏しい部分を有難がる姿をいう。当時、およそ宗教とか信心の かけらも無い「堕落悪僧」の、「乱れの場」である叡山などへの崇拝から逃れられない自身のありかた、を頑迷につらぬいた。しかも、その小才を以って一国の 統治を可能と自惚れる「自己への狂信」。
光秀の愚行が、本来、日本統治力の無い徳川家康にその場を与えてしまった。「鎖国三百年に及ぶ退歩の歴史」。その後に続く、「後進国としての富国強兵策」。やがて「侵略国家としての悲劇的結末」。全ては「本能寺変」が齎した。
*人物評――狂気の愚行
●豊臣秀吉
一兵卒から司令官への出世。たしかに例を見ない才能の持ち主である。しかし、その才は、優れた指揮者のもとで発揮される種類のものである。指揮者がなくな れば、秀吉の本質がそのまま表に出る。凡人に相応しい「権力欲」。凡人が陥りやすい「残虐性」。彼の「戦争外・残虐性」は、多くの記録に残されている。こ の人物に「統治の理念」など学べる筈も無かった。豊臣家の悲劇的な末路は、やはり「本能寺の変」が齎したと言えよう。
*人物評――権力欲と残虐
- 編集日時:2012/3/29 17:02:16
- 回答日時:2012/3/27 19:16:32
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