(11) 平敦盛
摂津の国(神戸)の西端、須磨の地に伝わる物語と哀歌。この須磨寺には平敦盛と熊谷直実の、「戦いの像」がある。
だが、戦いは瞬時に終わった。
沖にたゆとう平家の軍船、一の谷合戦で破れた平家の武者たちが、沖へ向かって逃げ惑う。やや遅れて、連銭葦毛の馬が、波打ち際に入ろうとする。追撃してき た熊谷直実は、目前の、手中にし得る手柄に心躍らせた。「引き返せ」と勝負を挑んだ。滋藤の弓、黄金作りの太刀・・・・・・・・・、高貴な身分を表す武者 は引き返し、直実に応じた。
直実は、すぐにも組み伏せた対手の若さと美貌に心動かされた。十六、七歳と思われる。直実の息子・小次郎とほぼ同じ年頃。直実は心痛めて、勝負を放棄しよ うとする。しかし、後方から進撃してきた源氏の武者たちの姿を見て、「よも逃れさせ給はじ」と自らのうちに嘆いた。嘆きのうちに若武者の首を切り落とし た。
その前、名を尋ねた直実に、若武者は言った。「名乗る必要はあるまい。この首を持ち行けば、知らぬ人はいないはず。汝の手柄にせよ」。
熊谷次郎直実は、やがて出家した。
一の谷(いちのたに)の 軍破れ(いくさやぶれ)
討たれし(うたれし)平家の 公達(きんだち)あわれ
暁(あかつき)寒き 須磨(すま)の嵐に
聞えしはこれか 青葉の笛
この「青葉の笛」は、かつて小学校唱歌として親しまれていた。だが、学校で習う前に、子供たちは、口伝えで母親からこの歌を学んでいた。
敦盛の首を包んだ直垂は、もちろん、敦盛の鎧に付いていたもの。直実が直垂を取って首を包もうとしたところ、錦の袋に入った笛があったという。・・・・・・・・・そういえば、戦いの一日が終わり、夜の闇に切々と流れてきた笛の音は、平家の陣所からの音色だった。
「何という優雅さ」と、直実は身分の高い敦盛への敬意をいっそう募らせた。
一武将に過ぎない直実は、遥か上位の「平家の公達」の首を、当然、高貴な包みで覆わねばならない。敬う心と悲哀の涙が、直実の行為を導いた。当時、また、 いつの世も、戦いの場での「恩賞のもと」、敵方の首はそのまま持ち歩いた。激闘ともなれば、当然のように憎しみもわく。しかし、熊谷直実の胸のうちは違っ ていた。
この話は、やがて直実自身の口を通して、源義経に伝えられた。この高貴な若武者の最期に、涙せぬ者はいない、と義経は語った。
近世への夜明け、戦国の世を統一した織田信長は、出陣に際して、必ず謡曲「敦盛」を舞ったという。「人間五十年・・・・・・・・・」で始まる謡に、信長は自らの死生観を重ねたと伝えられている。
- 編集日時:2012/5/13 01:36:03
- 回答日時:2012/5/13 01:00:10